木村吉見/イラストレーター・グラフィックデザイナー・ドンツキ協会理事 オカザキ恭和/ヨガインストラクター・ダンサー・北斎ヨガ主宰

オカザキ恭和、木村吉見

路地、行き止まり、土間、町工場、そして人。
このまちにはアートの材料が山ほどある。

すみだの北東部に位置する八広は路地のまち。
一度迷うとなかなか目的地に辿りつけない迷路のような裏道にyahiro8というアートスペースがあります。町工場を自分たちで改装した一軒家は2階が住まいで1階が創作と表現の場。オカザキ恭和さんはコンテンポラリーダンサーでヨガインストラクター。木村吉見さんはイラストレーターでグラフィックデザイナー。路地や土間をステージに、ご近所さんも巻き込んだアーティスティックな試みを繰り広げています。(2014年取材)

木村さん

- ここに住みはじめて5年くらいだそうですが、その前はどちらに?

木村:ボクは大田区の雪谷大塚で、彼女は自由が丘に住んでいました。

- なぜこちらに越してきたのですか?

木村さん
オカザキ:スタジオにもできる一軒家を探していたんです。家賃などを考えて東京の東側に注目。土間のある元・町工場はダンスやアートのスタジオをつくるには向いているかもと思いました。

この家を見つけて迷っているときに向島周辺にはどんなまちの活動があるんだろう?と調べてみたんです。自分たちがやろうとしているアート的な、いわば一般的な常識からはちょっとズレたコトを受け入れてくれる土壌があるかどうかは、重要なポイントでしたから。

- すみだにはアートの土壌がある、 と思ったわけですね?

木村さん
オカザキ:はい。ひとつはアサヒビール本社にある「アサヒアートスクエア」というスペース。すみだ川アートプロジェクトなど文化的な活動の拠点ですね。

もうひとつは「向島学会」という活動。まちの歴史や文化を研究したり、住民と大学が一緒にアートイベントなどもやっている。
こういうプロジェクトのある地域なら、思いきったことをやっても大丈夫なんじゃないかな、と引っ越してきたわけです。

- 八広は昔から小さな町工場が多いエリアです。『ものづくり』という意味では共通する部分があるのでしょうか?

オカザキ:住みはじめてからですが、昔から何かを生みだす地域だったのだなあ、というまちの歴史を感じています。それからサラリーマンの住宅地ではなくて、個人経営の会社が多く、「独りで立つ」のが当たり前という雰囲気も、私たちの目指すことと重なる気がしています。音のでるパフォーマンスをしても、昼間は町工場の音に慣れているまちだからでしょうか許してもらっています。逆に夜は早いのでそこは節度を守って(笑)

- 狭い路地や行止りなど地域独特の町並みを活かしたイベントも展開していますね。

木村さん
木村さん
木村:路地って素敵じゃないですか?大きなクルマは通れなくて不便だけど、だから安全だったり。子どもたちも走り回って遊べるし。狭くて袖ふれあって生活していかなくてはならないからこそ昔ながらの人づきあいが残っている気がします。歩いているといつの間にか迷ってしまったり、突然行き止まりになったり。そんなところも整然と区画整理されたまちに比べてドラマがある。楽しい。

この特徴的な狭い路地から生まれたものが「ロジ展」や「ドンツキ巡り」といったイベントです。ドンツキは行き止まりのこと。実はドンツキにはバリエーションがいろいろあって、Lの字だったりTの字だったり、はたまた何本にも枝分かれしていてその先が全てドンツキとか。あまりにも奥深いんで調査・研究・分類する「ドンツキ協会」なんてのもつくってしまいました(笑)

木村さん
オカザキ:私はここに来てから「路地ダンス」というイベントをやるようになりました。路地に限らず室内で踊るときも中がみえるように戸を開けて、まちとつながっていく、まちが舞台になり、日常と非日常が浸食しあうような表現の場をつくることが増えました。解放された土間を持つyahiro 8も「内」と「外」が混じり合う空間。そこからまちの人がアートに出会ってくれたらと。

- 下町にアートって新鮮です。ご近所の人々の反応はどうですか?

オカザキ:このまちの人はイベントをすると気軽にのぞきに来てくれたり、参加してくれます。人もすごく面白いです。
「多重風景」というインスタレーション*展では、工場のおじさんがやって来て「ここで飛行機を飛ばしたい」と。あっという間に模型飛行機を空間に飛ばしてくれました。下校途中の中学生が来てくれることもあります。

木村さん
*インスタレーション:絵画や彫刻といった「もの」を見せるのではなく、さまざまな素材を組み合わせて構成した「空間」全体を作品とするアート活動。

- 下町はまだまだ古くからのご近所づきあいが残っていますよね。前に住んでいらした東京西側の住宅地と比べるとどうでしょう?

木村さん
オカザキ:振り返ると西は境界線がはっきりしていたなあ、と思います。下町は公共的空間と、私的空間の境界があいまい。路地はそこで暮らす人、みんなの共用スペース。植木がはみだしていても、子どもが遊んでいても、許される空気があります。境界線がはっきりしてると、親切するのもためらう。境界線があいまいだと気軽に助け合える。そこが魅力的です。
すぐ話しかけてきてくれますよね、下町の人は。花の手入れをしていると「キレイね」とほめてくれることもよくあります。以前は隣人とのつきあいがまったくなかった私たちも、いつのまにか知らない人に声をかけることができるようになっていました(笑)もう、ほかのまちには住めないかも。

- ライフスタイルも前と変わりましたか?

オカザキ:自分の手で暮らしをつくるということが面白くなりました。この床もご近所の材木屋さんから中古の杉材を買ってきて張って柿渋を塗って仕上げました。できるの?と思ったけど、やってみたらできた。生ゴミから段ボールコンポストで植物の肥料をつくり、寺島なすを育てたり。栗の渋皮煮をつくってその渋皮で染めものをすることも。昔なら当たり前だった循環型の暮らしを楽しんでいます。
木村:ここで暮らしていると、かっこつけないで自然体で、自分のやりたいことをやっていこう、という気持ちになれる。本当の意味で地に足のついた生活をしています。